最近の発見〜SNSと手軽な表現の危険性〜
どうも曽爾です
今回はちょっと毛色を変えまして、SNSについてです
この記事自体、SNSで告知し、多くの方に読んでいただけ、大変感謝しております。
ただSNSというものを最近はよく見るんです(なら発信しろよという感じですが)そうすると、情報の量に驚かされます。
素晴らしいなと
こんなに簡単に、速く、情報が回る媒体は今までなかったぞと。。。
しかし、情報が多いということは、多方面の情報も多いということなので
デマなのかなと感じる情報も多く、多方面の情報を集め、冷静に判断するということが今後はより大事な時代になるのかなと、今さらながら感じたのですが・・・汗
ただここからが本題。。。
デマはいいのです
大半が解釈の齟齬により生まれていますので
ただ、一番ヤバいのは、感情的なツイートや、短絡的な書き込みかなと感じます。
これは、人を研究していく中では面白いのですが。。。。
ネットといえど、人間の書き込みであり、状況により左右され、感情的に行動に起こしている方が多く見受けられます。
自由というなのもとに、何を言ってもいいのかというと、読み手も、言われた側も人間であり親しい人であることに変わりはないように感じます。
しかもSNSという媒体故に、その他の関係ない不特定多数が見る危険性がありますね。
流れからわかる悪口や、計算など読まれてしまうもの。
なのに書いてしまい、嫌いな相手だけでなく、大事な相手にも不快な思いをさせてしまえる現代の問題点を痛烈に感じました・・・
そのSNSにより簡単に人と繋がれてしまうのに、個としての生き方に執着してしまう・・・そのくせ他人は置き去り
なのに書き込みは、善であり
それが、大衆の求め、そして自分が得を得られる手段であり、他人を、疎外していく要因になっているように感じるのです。
人が今感じ、受け取り、発信するには
テンポは速く、気軽になったのですが
一度、発信するという事に立ち返らなくてはいけないなという風に感じました。
表現というのが万人にもたらされ、当たり前になったせいで、表現や発信について無頓着になっているのではないかと思います。
今までは、内に隠していた感情の暴発が起きていて。それは表現を生業にする、したい人間には向かないように感じました。
なぜなら、それは芸術的でもなく、表現でもなく
ただの誹謗中傷であり
芸術を生業にしている、したい人間は
芸術作品の中でそれを完遂していく事により作品に生命が宿り、何かしらが生まれるように感じます
今感じている何かは、必ず作品に反映されます
解釈という意味で
なのに、その大事なエッセンスをだだ漏れにしてしまってはもったいないように感じます。
影響力のあまりない表現者の端くれとしての意見と流していただいても結構です。
長文失礼しました。
ではでは今回はこの辺で。
2月からワークショップを開きます!
日程:
2月18日、25日
料金:
1回2000円、2回参加は3500円
時間:
18時〜21時
場所:
東京のスタジオ
(参加の方には詳細お送りします)
内容:
芝居・演技基礎・身体表現...etc
ご参加おまちしております!
質問もお気軽にどうぞ!