作品作りについてその2〜現実の鏡はそのまま掲げない
どうも曽爾です
今回は、作品作りについてその2です
前回までのお話しに少し突っ込んでいきます。
某有名劇作家曰く、「現実に鏡を掲げる」ことが演劇だとします。
そこで、リアルに描くことが多いのだと思いますが、その劇作家の時代と現代は大分違うように感じます。現にその時代でもリアリティで演劇は描かれていなかったです・・・・
その後、リアルな演劇がメインになったのですが、その時代はリアルにすることにより時代を写せたように感じます。
しかし、現代を生きて、見ていくとリアルにする事は多少の危うさを感じます。
なぜなら、前回お話ししたように、現代は情報が多すぎます。
とは言っても人間の情報処理の量は昔とは変わっていないように感じます。
ただ質自体が変化しているのではないかと思います。
今は、何でも科学的や、数学的にという言葉に支配されてしまっています。
悪いわけではないのですが・・・
統計が正しいわけではない・・・なぜならその統計に「今」は含まれていない
科学が正しいわけではない・・・なぜなら「反証」出来なければ科学ではない
という前提を忘れてしまい、賢くなったように感じることができるものとしてそれらを持ち出してしまうからです。
そうすると『今』という瞬間を感じることが難しくなります。
昔は科学や、技術が今とは違い自然に根付いていました。
なので今の状況や、自然を感じて生きていました。
なのである程度リアルに描いてもそれを感じることが出来た。
しかし、現代はテクノロジーや学問の進歩により、自然を理解しているが、感じることが出来なくなってしまったように感じます。
昔の作品と今の作品んお違いは、イマジネーションの量と質です
それは読み手により量も質も変化します。
なので過去の名作はその時代を写しているように感じます
それは社会情勢ではなく、人間の精神性を写しているように感じています。
では、現代に何が必要なのかと考えたときに、現実をありのまま写してしまうと、無駄な情報に隠されてしまい、大事な何かが欠如してしまうように感じています。
だからこそ、知的な情報を無くしてしまうという表現の仕方になりました。
人間の精神や社会と自然が乖離した現代だからこそ、自然を感じる作品を作り続ける。人間の本質に立ち戻れば、現代のテクノロジーと人間の精神性が高いレベルで共存できるように感じたからです。
難しいときこそ考えないことが、作品作りの核になっています。
最初は感じること自体が難しいかもしれませんが、ぜひ一度深呼吸をして、周りを感じてみてください。
何かがつかめるかもしれません!
ではでは今回はこの辺で!
最後までお付き合いありがとうございました!