作品作りについてその3〜表現を疑う・・・・日本人の優れた特徴とは?
どうも曽爾です
今回は、表現を疑うことについて書いていきます。ちょっと難しいところなので読みにくいかもしれませんがお付き合いお願いします。
では、疑うとは?
今やっていることを反省したり、見直したりするということではなく。
今正しいと言われている表現について疑いながら、新しい表現技法について考察し研究することだと感じます。
前回の記事でも書いたことなのですが、「現実の鏡をそのまま掲げない」という通り。
それを、現実化、具現化していくには、今の表現技法では難しく感じました。
まだまだ完成とは言えないのですが、抽象的な言葉と身体動作それとそれに起因する呼吸について研究して表現していくことにしました。
では、その身体動作と呼吸とは何か?ですが
人間が本来的にもち、尚且つ日本人が最も優れている部分・・・空気を読み空気から、様々なものを感じる能力、そこから様々なものを膨らませる想像力
それは逆に言えば、それらの小さな変化で表現できてしまう能力だと感じます。
だからこそ、呼吸一つで全てが変わってしまうように感じます。
しかし、現代はかなり便利になり。身体動作も、呼吸も、あまり「パワー」を必要としないように感じます。
なので先にも書いたような身体動作ができない状況ではないかと感じます。
身体に力を流すには筋肉を力むのではなく、呼吸です
呼吸を通し、身体が中心から揺れ続けるイメージです。
少々脱線してしまったのでここについては今度触れます。
本題に戻りますが、その身体動作の探求が今後の表現につながっていくのではないかと感じます。
身体動作ができない状況で作られてしまうと、空間が動かないというか・・・凝り固まりを感じるのではないかと感じます。
空間をスムーズに動かすために今の正しいと言われている表現に疑いを持ちながら
様々なことにチャレンジすることが何より大事だと感じます。
日々精進です。。。。
頑張ります!
少し長く、そしてちょっと読みにくくなってしまいましたすみません
最後までお付き合いありがとうございます。
次回は、身体と呼吸について、そしてなぜ殺陣を舞台でやらないのに
続けているのかについて書いていきます。
ではではこの辺で!