感覚という言葉に騙されていませんか?
どうも曽爾です
今回はよく聞く言葉であり、うちの団体でも大切にしている
感覚
についてです
結構お見受けするのが、自分は『感覚』でやっている
という言葉ですが
それは、捉えどころのない感覚という言葉を言い訳にしているよに感じます
感覚を説明できないということ自体が、プロではないと感じます
それは自分の仕事に対して、責任がないことです
感覚がどう崩れているのか
自分がどういう状態なのか
全部無視しているということですよね
しかし、思考のみではできないです
そこで大事なのが
体からの声です
そこと思考と感性を合わせてやっと芸術は成り立つように感じます。
感覚を言い訳にするのはやめませんか?
一流、あるいは天才と言われる、芸術家やアスリートに限って、感覚と言った後に今の状況を、なぜこうしたのか説明できませんか?
確かに天才たちの言葉は理解できないかもしれませんが、自分の中で道理が通っているからこそ、話せると感じます。
話せないということは、まだまだ勉強も足りないし、今の自分に満足し試行錯誤を申していないということですよね?
ちょっと強い記事になってしまいましたすみません。
ではでは今回はこの辺で!
またよろしくお願いいたします。